君の涙と死神の憂鬱


「……つまりだ、おまえは死んだわけだ」
 黒衣のちびの少年は八重歯をのぞかせながらいかにも嬉しそうに笑った。
「……はぁ、そうですか」
 ブレザーの制服に身を包んだ少年はそっけなく答えた。

強い強い風が白い白い地面の形を変えてゆく。

 状況を端的に説明すればこうなる。ここは雲の上であり、白衣の少年はたった今死んだばかり……死にたてほやほやの幽霊であり、黒衣の少年は彼を迎えに来た死神である。いちおう、死神らしく鎌っぽい物は持ってる。『鎌っぽい』と言うのは鎌は鎌でも草刈り鎌であるからだ。ちょっと迫力が落ちる。とまあ、そう言う状況である。
「……そうですね、まぁあの瞬間確かにやばいな、とは思いましたからね。死んだっていうのは間違いなさそうです」
 当の幽霊はあまりに落ち着きすぎていた。
 幽霊の脳裏には階段を踏み外してから自分がゆっくりとスローモーションで落ちていく様子が浮かんだ。一緒に生徒会室にダンボールを運んでいた会長が階段の上で自分を見てびっくりしていた。そりゃびっくりもするだろう。派手に落ちたようだ。そう思いながら不思議なほど他人事でゆっくりと遠ざかる会長の顔を見てた。伸ばした手は会長の手に届かなかった。痛いだろうなとはわかっていたが、場違いにも揺れる長い髪がきれいだとも思った。……つまりそれが死に際の記憶というわけか。
ふと考える、会長はあの後どうしただろうか、あの人もなかなかに物怖じしない人だ。おそらくすぐに校医を呼び、119番に連絡し、先生方にも的確な説明をしてくれたことだろう。感謝を言っておきたいところだが、死んでしまってはそれも叶うまい。
「おい!おーい!おいっつてんだろうがこのボケ!」
 うるさい声に幽霊はようやく死神を再び認識する。
「ああ、はい。そうでした。あなたは僕を迎えに来たんでしたね」
「散々無視しくさって……死神ってのはさ、死人の帳簿の書き換えとか結構できるんぜ?」
「ノートに名前書くんですか?」
「ぷっ…くくく、いや、そんなやり方はもう古い。今は死人の管理もコンピュータで一括だよ。おまえ、死神舐めてると本当に地獄連れて行くぞ?」
「ああ、そうですか。自分は大人しくしていれば天国行きが決まっているわけですね」
「くっ、そりゃあ……あーむかつくなあーもう」
死神はじたばたして悔しがる。
「だいたいなぁ、死んだと聞いて『はぁ、そうですか』じゃないだろう!もうちょっと考えたらどうだ!?おまえはホントに死んじまったんだぞ!『お願いです!生き還らせてください!』とか『地獄に行きたくない!』とかちょっとは泣き叫んでみたらどうなんだ!オレの脚にすがり付いて泣いたっていいんだぜ!悔いぐらいあるだろ?死にたかなかっただろ?」
 草刈鎌をブンブン振り回しながら死神は怒っているようだった。
「うーん、確かに読みかけの本もありましたしね。連ドラの結末見れないのも残念でした。まぁでも死んでしまったのですから。」
「がくー。……おまえさー、若いんだろ?ホラ、あるだろ?夢とか希望とか将来…とかさ………って死神のオレがどうしてこんな虫唾の走ることを!ムガーー!!」
「夢……ですか。将来は公務員になって安定した生活を……」
「んっとに夢のねぇヤツだな。じゃあ、じゃあさ、家族はどうだ?おまえが死んで悲しむぜ?どうだ、死ぬのは嫌なもんだろ?」
「ああ、両親は幼い頃に交通事故で死んでます。育ててくれた祖父も昨年死にましたし」
少年はそっけなく話す。
「ご、ごめん」しょげ返る死神。
「…………………ってなんでオレ謝る!?」逆切れ。自分で突っ込み。
「……はぁ、泣けてきた。おまえなぁ……まったく、せっかく気合入れて来たっていうのに相手がこんな奴とは……人間が地べたに頭擦りつけて命乞いをするのが唯一の楽しみだって言うのに……ハァ」
「それは、すみませんでしたね。今からしますか?」
「やめろ、よけい空しい」
「そうですか」
「……おまえさぁ、寂しいやつだよなぁ」
「案外と本人は気楽ですよ。悔いは常に残さないというのが自分のポリシーです。いつだってまじめに、無難に、最善の選択を取ってうまく生きていくのが信条ですから。人間いつ死ぬかなんてわかりませんからね。……いや、死んでしまった今となっては『わからなかった』と過去形にすべきですか」
それっきり死神は静かになってしまった。
幽霊は思う。
人はいつ死ぬかわからない。父と母は自分だけを残して死んだ。事故で生き残ったのは自分だけだった。祖父も自分を置いて先に死んだ。
自分はもう、置いてかれるのはいやだから……それならばいつ死んだって構わないように……何も残らないように……
未練なんか残らない。残すものか。自分は消えて無くなるだけだ。
『――君がいないと私が困るの!』
……ふと、懐かしい一言が胸を貫いた。
一つだけ、一つだけあった。

           ◇◆◇

「どういうこと!?」
まだ彼女が会長ではなかった頃の話。
生徒会室に向かう廊下で自分は彼女に鉢合わせした。
切れる息と大きく上下する肩を見て生徒会室から走ってきたのだろうとぼんやり思った。
「『どういうこと』ってどういうことですか?」
彼女にはすぐに熱くなって突っ走る癖がある。
「会長選を辞退するって話よ!会長から聞いたわ!私に譲ろうって言うの!?それなら今すぐ発言を取り消しなさい!逃げるなんて許さないわよ!!」
 突然ひとの胸倉を掴んで激しく揺さぶる。
「……落ち着いてください」
長い髪を振り乱して講義する彼女の姿が珍しくてつい弁解するタイミングを逃しそうになる。
「落ち着けってねえ!?」
彼女の興奮は収まりそうにない。とりあえず、揺れが止まったところで。構わず話を進める事にした。
「自分は確かに時期会長選には出ないつもりです」
 うちの学校では毎年10月に生徒会役員選挙が行われる。割と生徒会活動が活発な学校で選挙には結構な数の立候補者が出る。すでに立候補者受け付けが選挙委員会主導で行われている時期だ。
「そして会長からの推薦も断りました」
立候補には生徒会会員30名の署名か会員10名の署名と生徒会執行部役員1名の推薦どちらかが必要だ。生徒会委員として執行部を助けて働いてきた自分達後輩には執行部の先輩がたが推薦を引き受けてくれるという伝統がある。現執行部の生徒会長の推薦、しかも応援演説まで引き受けてくれれば選挙戦も確実に勝てる、という噂も聞いていた。
『どうだろうか、僕は君を推すつもりだ。君にはそれだけの実力はあると買ってるつもりだ』
そして自分は先日会長に推薦を持ちかけられた。生徒会の中でも多少の噂にはなっていた。会長がこの自分を気に入って推薦するつもりであり、副会長と書記長は彼女を推して2派に別れていると言う噂だ。それは本当だったらしい。
『いいえ、お断りします会長』
自分の考えは決まっていた。
『買い被りすぎです。それに自分は選挙に出ないつもりです。自分なんかよりもっと相応しい人がいます』
『僕に彼女の推薦をして欲しいと?』
『はい』
能力的にもそうだが彼女には人の上に立つだけの素質がある。おおげさに言えばカリスマ性と言えるかもしれない。それは自分には無いものだ。
「断りましたがそれは勝てないと思って逃げたわけじゃありません。自分よりもあなたのほうが会長には適任だと思ったからです。選挙に出ない自分には関係ないですし」
「よく言うわ!君に断られたからって言われて会長の推薦を受ける私の気持ちが分かる?私は誰かの代わりなんて我慢ならないわ!!」
「それはすみませんでした。でも会長の推薦はやっぱり間違いです。……そんなにいうなら推薦を断ったらどうですか」
「……で、でも推薦していただけるなら断る理由はないわ。」
「でしたら自分はこれで……」
話は終わったと思い自分は立ち去ろうとした。新役員が決まれば自分の生徒会での仕事も終わりだ。それまでは出来る限り仕事をしておこうと思っていた。
「君がいないと私が困るの!」背後から怒鳴り声とも言える大声で彼女は言った。
「はい?」少し驚いて彼女を振り返った。
「君がいてくれないと私の生徒会長としての職務に支障が出るのよ!」
「……会長選に勝つことはもう前提なのですか」
「当然よ!」
「……しかし、自分がいなくてもあなたなら大丈夫だと思います」
「それも当然よ」
「なら……」
「黙りなさい!確かに私一人で生徒会は牛耳って見せるわ」
牛耳る……
「でもそれだけじゃ嫌なの。私はこの学校を変えるつもりよ。そして目的のために万全には万全を期す。石橋は叩いて破壊するのが私のモットーよ。私にはモチベーションを維持するためのライバルであり、頼りになる右腕が要るの。その役は君しか出来ないんだから。君が必要なのよ!」
「自分が必要……?」
「そうよ、生徒会長は私がやるわ。だから君は副会長に立候補しなさい」
 なぜだろうか、やるつもりなんか無かったはずなのに。
「……わかりました」自分の口からは思いがけないくらい素直に言葉が出た。
「そう、よかったわ」
そう言って彼女はにっこり笑って手を差し出した。
自分もつられて握手した。
「んっ」
その瞬間彼女はおもいっきり自分の手を握りつぶした。
「君のこと、本当に憎らしく思っていたわ。なんでも涼しい顔でそつなくこなしちゃって。会長たちに気に入られて」
手はにぎったまま。こりこりと手の甲の骨を締め付ける。
「でも君の手腕は気に入ってるわ。これからはライバルでありパートナーよ」
「じ、自分が副会長選に勝つことももう前提ですか」
「当たり前よ!私が選んだんだから!」
手は離さず、力は緩めず、しかしさわやかな笑顔で彼女は言い放った。
           ◇◆◇

「……ああ、そうか、死神さん、僕にも……少しだけ」
「へ?」
突然のことに雲に寝転んでふて寝してた死神も面食らう。
「少しだけ未練と呼べるものが」
「え?あ?お、おまえ、あんのか、未練!?」
さっきまでの不満顔はどこえやら、飛び起きて目を輝かせる。
「ええ」
それは彼の人生で唯一のまぶしくきらめき輝く汚点。つまり心残り。
何も残さず生きていこうとしたはずの自分が犯したたった一つの大切な過ち。つまり未練。
「よっしゃ、OK!その未練買った!!」
そう言うが早いか死神は手に持った草刈鎌をブンと振る。
思わず幽霊も身がすくんだ。しかしその狙いはなぜか左すねのさらに横だった。
幽霊の左足の近くの空中でガシャンと金属が断ち割られる派手な音がする。
「せいやっ」
「この鎌で死者をあの世へ引っ張る足かせの鎖を断ち切ったんだ。本当はこの世に引きとめようとする未練の鎖を断ち切る鎌なんだけどな……っておまえには見えないか」
一人満足そうなちびの死神。
「つーことで、あばよ、死人」
言うが早いか死神はステップを踏みくるっと一回転して幽霊の胸元に見事な後ろ回し蹴りをみまわせた。
「ぐぇっ!?」
バランスを崩した幽霊の体は雲の切れ目から真逆さまに落ちていった。
「今度予定外の時間にこっちに来たら本当に地獄に連れてってやるからな。そんなでかい未練の鎖付けて悔いは無いなんて言うやつは大っ嫌いだ」
落ちている最中笑いの混じったそんな声が幽霊には聞こえた。

           ◇◆◇

「君ねぇ、ホントに心配したのよ?心臓止まったのよ?死んだと思ったんだから」
真っ白な病室、ベッドの上、泣きはらした目の彼女が目の前にいた。
「……というか死にましたよ」
「そうよ、死んだのよ!?あーもう、泣いて損したわ!返しなさい!私の涙を返して!!」
「いえ、返しません。会長の泣き顔が見れるなんて……死んでみるもんですね」
「まったく、なんて態度なの?」
「自分が死んだら会長は困りましたか?」
「君が居てくれないと困るわ!死んだら墓穴から叩き起こしてあげるんだから!ずっといてくれな……!?」
「ありがとうございます」
 少女の言葉をさえぎるように少年は少女を抱き寄せた。
 気づいたのだ。自分にとっても彼女が必要なのだと。
さっきまで幽霊だった少年は少女の長い髪に手をかけ、ささやいた。
「……もう死ぬまであなたを離しませんよ」