乾 志狼(IV)


「彩夏ちゃん!黒羽!」
 倒れた黒羽の元に駆けつける。
 その後ろには彩夏ちゃんが呆然と立ち尽くしている。怪我はなかったようだ。
 …危ない所だった。黒羽が庇わなければ彩夏ちゃんは鬼火を避けられなかっただろう。
 膝をつき、倒れた黒羽を抱き起こす。彼自慢の漆黒の毛並みが無残に焼き焦げ、痛々しい火傷に血がにじんでいる。
 黒羽は本物の犬ではない。僕の力を借りて実体化している存在だ。だから死ぬことはない。この傷では修復に時間がかかるとは思うが心配はない。
 しかし、それが何だというのか、黒羽の痛々しい様子に怒りが込み上げる。
 僕は再び立ち上がって今度は彩夏ちゃんの方を見る。
 彩夏ちゃんはまだ立ち尽くしていた。無理もない、できることなら…この人だけは僕の事には巻き込みたくなかった。
「彩夏ちゃん……」何か声をかけようと思うのに言葉が見つからない。
 虚空を彷徨う虚ろな瞳と視線が合う。真っ青な顔。いつもの明るい彼女からはとても想像できない。
 僕の顔を見て、安心したのか彩夏ちゃんはぺたりと地面に座り込んでしまった。
「大丈夫。彩夏ちゃんは僕が守るから。」それだけ言って拳を硬く握り締めてやつに向き直る。
「おやおや、お嬢さんは無事だったようダ。まったくなによりじゃないカ」奴は肩をすくめ、 さもおかしそうにまたニヤニヤと笑った。
「ゆるさない」
 右腕に巻かれた包帯を左手で解いていく。
 するすると地に白く落ちていく布。
 …ふと考える。黒羽が倒れた今、もはや白羽と僕だけでは化け狐に勝つ手は残されていない。
 …それでも、時間を稼がなくてはいけない。
 このまま彩夏ちゃんを守り続けながら戦うのは辛い。彼女が正気を取り戻し、逃げるまで、そして黒羽が回復するまではなんとしても。
 包帯が終わる。そこには僕が隠しつづけてきた物がある。見せるなら火傷の方がきっとましだろう。
 そこには牙をむく真っ白な犬の首が描かれていた。
 遠くから見れば腕に犬が噛み付いているようにも見えるらしい。それほどに腕いっぱいに描かれている。
「白羽、頼むよ」一瞬刺青の恐ろしい顔がウインクをする。
 手のひらで犬を撫でるように刺青をなぞっていく。
 すぅっと刺青が消える。
「主の命に応えよ、式神!『白羽』」
 突き出した腕から白い霧が溢れ出し、僕の周りに渦を巻く。
 やがて、霧は徐々に集まって形をなしていく。一匹の犬を。
「おまたせしましたわ、シローちゃん」
 白銀の美しい毛並みをなびかせて。白羽が姿を現した。


      back       next