美咲彩夏(I)
私は市街地に建つ極めて普通のボロアパートの一室の前に立っている。
さわやかな初夏の風がセミロングの髪を揺らし、肩をさらさらと撫でる。
友人たちはロングヘアーの方がかわいく見えるよと言ってくれるが、この方が面倒が無くていい。
部屋のインターホンを押す。
ピンポーン
聞きなれた音。
…ドアが開く気配は無い。
ピンポーン ピンポーン
ドアの向こうに物音は聞こえない。
ピンポーン ピンポーン ピンポーン ピンポーン
しかし私にとってはここまで予想の通りだ。この部屋の住人が中にまだ居る事も出てこない理由もよく知っていた。
ピンポーン ピンポーン ピンポーン ピンポーン ピンポーン ピンポーン ピンポーン ピンポーン … …
しつこいほどの連打、連打、連打…
ドタドタと足音がして、がしゃん何かが落ちた音と痛っという悲鳴が聞こえる。
どうせ小指をたんすの角にでもぶつけたのだろう。
そしてやっと…
ガチャ
ドアが開いた。
「ご、ごめん。彩夏ちゃん」ティーシャツにハーフパンツ、頭にところどころ寝癖をつけて部屋の住人―乾志狼がのっそりと顔を出す。
「はぁ…やっぱり、まだ寝てたのか」うんざりした顔で私―美咲 彩夏(みさき さいか)はため息をついた。
「えっと…ちょっとね」志狼は後頭部を掻きながら必死に笑顔を取り繕うとする。
「ちょっと…ね、よく眠れたのかな?」にっこり笑顔で返す。ぎりりと後ろで拳を握り締めて。
「うん、そりゃもちろん。」予想外の私の笑顔に釣られて志狼もにへらと締まりなく笑う。こいつは単純だからすぐに人の笑顔に騙される。
ダン、拳がドアに打ち付けられる。鉄製のはずのドアは拳の形に凹んでいる。我ながら見事だ。
「ひっ」さすがの志狼もしりもちをつき、青い顔をしている。いい気味だ。
「それは良かった。もしかしたらまだ寝ぼけてるんじゃないかと思ってね。」笑顔はキープ。引きつってはいるだろうが。
「ははは、目が覚めましたとも」志狼も玄関にへたりこんだまま笑う。
「さっさと着替えて来い!!」
「はい!」びっと電撃が走ったかのように立ち上がると、部屋のあちこちにつまづきながらばたばたと戻っていった。
……まあ、これくらいやらないと志狼は懲りないだろう。
「はぁ」私は志狼が部屋の奥に消えていくのを見届けてから大きくため息をついた。